2020.07.03 09:58『海の唄』 世界は突然に色を亡くす。悠然と手を広げていた未来が、目にも留まらぬ速さで過去に追い越され、散り散りになってしまう。棺の中で眠る母の顔は、死化粧がよく映える薄い顔をしていた。その死相を思い出し、機内の窓から雲海を眺めため息を吐く。涙はもう出ないけれど、現実を受け止めるにはまだ時間がかかりそうだ。 長いフライトを終え入国審査をパスし、少ない...
2019.04.22 09:22亡失のノクターン 迫り来る夜の帳に、細やかな音色が絡まって。世界が穏やかな眠りに向かい、重い瞼を閉じてゆく。古びた鍵盤を踊る指は何処と無くたどたどしいが、奏でられる唄は優しさに満ちていた。 古ぼけた家の扉を押し開き、老父が一人駆け込んだ。「ああ、酷い。あんなに晴れていたのに、どうしたんだ一体」 そう呟いた彼の解れた服は、バケツを被ったように濡れている。「...
2019.04.22 08:54花が咲くように ブラウンフェルス城の城門横に構えたホテルの一室からは木組みの家並みがゆったりと流れる時の中に佇んでいる様子がよく見て取れる。石畳の道には観光客が弾んだ声を上げ通り過ぎてゆく。未だ目の覚めない男は、ベッドのうえで何度も寝返りを打ちながらその穏やかな平和を聴いていた。「おはようございます、エルンスト先生」 不意に男とも女とも取れぬ美しい声に...
2019.04.11 10:27『きみへ』 火葬場の黒光りした屋根の真上に広がる真っ青な空に立ち昇って行く、細い白煙。それはまるで、俺にとって父と言う存在そのもののように感じた。掴み所などどこにもなく、少し風が吹けば直ぐに消えてしまう。まるで常に何かに泳がされ、怯えながらも、自分を形作る確固たる筋を曲げようとはしない。そして何時も、酷く自分勝手である。 そんな父が突然俺達の前から...